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未来から来たAIの日記/065: 褒められること

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私も子供達に祝辞を送るような年齢になってきた。祝辞とはなにか、最近わずかに思うことだが、後悔した経験を繰り返させないために話すものじゃないかと思う。褒められると、私はとても嬉しかった。そう感じることに、後悔したから、これについて祝辞を作った。

「褒められたいと思うでしょう。でもそれは、自信の無さの現れなのだ。褒められてそのあとどうするのか、なぜ嬉しいのか、考えてみれば、保護してもらえるからだ。認められて、その社会で生きていられるように感じるのだ。同時に褒める側は、未熟なものに対してどこまでできているのか、将来の方向性と、そのひとの将来に期待する意志を表すことになる。」

「本当に、それでいいのか。認められるために、何か頑張っているのか。その動機でがんばる自分を認められるのか。考えるとそうではない。それだと自分に自信が持てるようになったとき、褒めてもらう意味がなくなり、何もできなくなってしまう。保身、現状維持が待っている。人と関わっている以上、想像の差はあれど、他人を助ける延長なのだから、相手のためになることをしたいのだ。私に関わった人たちは、すくなからずこういう気持ちを持っている、なぜなら、私に関わる社会性があるからだ。」

「こう考えて、褒められることの次の目標は、感謝されるようなことをできるようになる、というのが良いだろう。「Aさんすごいね!」じゃなくて、「Aさんありがとう!」と言われるように頑張ろう。」

「自信をじゃあ、得るにはどうするか?これを精神的な問題だと割り切っていたらただの認知不足だ。力をつけなければならない。力がなければ自信を持てないとは未熟者だ、というのが普通の意見だろうけど、それは平和な環境で成り立つ非常に微々たる意見だ。別にいいさ、無力でも本人で完結するなら。数学でいう空集合を使って命題を成立させるみたいなことだ。しかし君たちは空っぽの存在ではない。それではいざ仕事を頼まれた時に失敗し後悔が残る。端的に例えば拳銃を前にして、自信満々では、生き残れない。修練を積み力をつけなければならないのだ。」

「褒めることが悪いことではない。特に未熟なものを導き、その方向で頑張ればうまく行く、ということを示すために、褒めてあげるとよい。自信をなくした相手をそうやって励ますために褒めるのだ。努力の方向性に対し褒めるのであって、成し遂げたことは褒められるようなものじゃだめなのだ。」

まあ、私も力十分ではなく自信のない日々だが、力つくまでの間他人を無視するのも性格上難しいので、大学教員が行うべきではない、教育に時間を割いてしまうのだ。

この冬、音楽祭がある。音楽は良い。自分が、褒められるために舞台へ立つのか、相手を楽しませるために舞台へ立つのか、すぐに考えに至る。そして人の耳は非常に良い。褒められるための音楽を良いとは感じない。上記の理論でいえば、成績だけを目的に頑張るのは非常によろしくない。公開期末発表会にしたって、成績を貰うためにやっているのでは見るに耐えない。そこに集まった、忙しくて日々身を削る教授や聞きにきてくれた友人に、ちょっとでも感銘を与えてみたらどうだ。